アラブ首長国連邦
面積 約8万3000平方Km(日本は約38万平方Km)
人口 約226万人(日本は約1億3000万人)
人口密度 28人(日本は331人)
地理・気候・風土
-アラブ首長国連邦と東京の降雨量と平均気温-

 国土の大部分はほとんど平坦な砂漠でおおわれているが,東部フジャイラ,ラスアルハイマには標高2,100〜2,400mの山岳地帯がある。ペルシャ湾に接する海岸地帯は塩分の多い硬質の土壌からなり,沖合には200余の島や珊瑚礁が散在する。内陸には砂漠地域にしては豊富な地下水に恵まれたオアシスがいくつか点在し,その周囲がナツメヤシなどにおおわれ,砂漠の中の美しいいこいの場となっている。
 気候は全体的に亜熱帯性乾燥地帯に属し,ことに海岸地帯における湿気の多い酷暑の夏が特徴である。一年は4〜11月の夏季と11〜3月の冬季とに大別され,夏の最高気温は47℃をこえ,湿度も80%以上,また冬は日中気温は20〜30℃と温暖だが,夜間には10℃前後に下がることもある。
国のなりたち
 首都アブダビをふくむ地域に4,000年も前に古代の文明があったことが,最近の調査で明らかになっている。
 16世紀,欧州列強の植民地政策の影響を受けて,ペルシャ湾沿岸はインドおよびアジア諸国との海上交通の拠点となった。18世紀には,フランス,オランダ,イギリスなどの勢力争いが続いたが,結局,海軍力ですぐれたイギリスが支配権をにぎることとなった。他方,先住民の勢力も強まり,この地域の一部を支配したカーシム家は19世紀には多くの大型船と2万の兵力をもつにいたり,その海軍力でペルシャ湾を航行する欧州の商船やアラブ商人をおそったため,この海岸は「海賊海岸」とよばれるようになった。イギリスはこの海賊になやまされ,1820年に海軍力をもって攻撃を加えた結果,「航海の自由を認める協定」をはじめ「休戦条約」(1835年),「永久休戦条約」(1853年)が結ばれた。アラブ首長国連邦独立までこの地域が「休戦海岸」とよばれた理由はここにある。イギリスはさらに現在連邦を構成する各首長国との間に外交権をイギリスに委譲する条約を結んだ。
 第二次大戦後,インド独立をきっかけにイギリスの植民地撤退作戦が始まり,この地域も激動の時期をむかえ,1971年12月,アブダビ首長国を中心に7首長国がアラブ首長国連邦として発足した。
政治・経済
 連邦大統領はザーイド・ビン・スルタン・アル・ナハヤーン(アブダビ首長)で,構成国はアブダビ,ドバイ,シャルジャ,ラスアルハイマ,フジャイラ,アジュマーン,ウンムアルカイワインの7首長国である。1971年に暫定憲法が制定され,76,81,86,91年さらに5年間ずつ延長されている。連邦の最高意思決定機関には7首長国の首長によって構成された連邦最高評議会があり,重要問題では5人の賛成が必要とされる。これに対しアブダビとドバイは拒否権をもっている。この最高会議の下に連邦内閣があり,各首長国には別個の行政組織がある。
 アブダビ,ドバイ,シャルジャの3首長国が産油国で,他の非産油国との経済格差が大きく,特に生産量の多いアブダビに連邦が依存している度合いは大きい。またドバイを中心とする中継貿易もいちじるしい発展をとげている。
社会と文化
 スンニー派イスラム教徒が多数をしめる。石油収入にささえられた開発ブームは全人口の約70%に達する外国人移民をもたらし,犯罪増加等社会的問題も増えている。
日本との関係
 日本は貿易相手国として第1位をしめ,日本の石油輸入量はこの国の輸出量全体の約1割に達する。日本企業の進出もさかんである。