イギリス
面積 約24.4万平方Km(日本は約38万平方Km)
人口 約5900万人(日本は約1億3000万人)
人口密度 239人(日本は331人)
地理・気候・風土
-ロンドンと東京の降水量と平均気温-

 イギリス(日本での通称)はグレートブリテン島,アイルランド島北部,マン島,海峡諸島からなる。このうちグレートブリテンは,イングランド,スコットランド,ウェールズの3地方にわかれる。地勢はウェールズとスコットランド北部にキャンブリアン山脈などの高い山脈があるほかは,全体に高原台地,丘陵地が多く,平野が開けているのはイングランド北東部だけである。国土の約80%は農業と牧畜に利用されている。
 気候は,北緯50度以北にもかかわらずメキシコ湾流の影響で比較的温暖で,冬の寒さも北日本よりはおだやかである。
国のなりたち
 先住民族はベルギー,北フランスから移住したケルト族であったが,5世紀ごろアングロサクソン人が民族移動の形で波状的に侵入して定住し,現イギリスの民族的骨格ができ上がったといわれる。その後11世紀にノルマンジー公ウィリアムがイングランド王となり,ノルマン王朝を樹立して集権的封建制をしき,以後,封建制の下で幾多の王朝の興亡がくり返された。
 16世紀に入り,ヘンリー8世のころから近代国家建設が進み,エリザベス1世の時代には海外におけるイギリスの支配権が確立された。17世紀になってクロムウェルの革命後,立憲君主制となり,1707年にはグレートブリテン王国が成立した。その後,産業革命をへて植民地帝国時代をむかえ,ビクトリア女王の下で大英帝国黄金時代を築いた。しかし19世紀後半の世界恐慌以来その地位はゆらぎはじめ,とくに第二次大戦後,世界の指導的地位から後退した。
政治・経済
 イギリス国王は,英本国,その海外領土および英連邦諸国の元首であるが,国王の主権は名目的なものである。
 今日のイギリスは大きななやみをかかえている。1つは北アイルランドにおけるカトリック教徒とプロテスタント間の血で血を洗う衝突事件である。宗教的対立であるだけに根は深く,各地におけるテロは英本土にまでおよび,1969年に両派の過激派に英国軍がからんだ紛争がおこって以来3,200人をこえる死者が出たといわれる。98年に至り4月,英国,アイルランド両政府をふくむすべての関係当事者による和平交渉が開かれ,和平案が承認されて平和解決の行方が注目を集めている。もう1つの問題は,慢性的な経済困難である。政府は,経済に対する国家の介入を排除し,自由競争原理に基づく英国経済の再建をめざし,公共支出の大幅削減,公務員数の削除,税制改革,国営産業の一部民間移行および金融引き締め政策を推進して低インフレ下の安定成長を目指してきた。この結果,近年は個人消費の活況にささえられた形でようやく景気が回復軌道にのってきた。しかし国民は18年の長きにわたる保守党政権に嫌気して,97年選挙では労働党が圧勝,43歳という今世紀最年少のブレア首相を選んだ。
社会と文化
 大英帝国の栄光を背負うイギリス国民はプライドが高く,合理主義的,個人主義的(利己主義ではない)である。この国には上流階級,中産階級,労働者階級の3階級があるのが特徴だが,みなそれぞれに自分の分と生活を守っている。
日本との関係
 一般イギリス人の日本に関する知識はまだとぼしいというのが現実だが,双方の国会議員や有力者による「日英2000年委員会」が毎年開かれるなど,両国の交流は活発である。